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明治の最新鉄道旅行地図(観光案内付き)

今回の三河日産ブログ、ちょっといつもとは違うアカデミックな内容でお届けします。

まずはこれをご覧下さい。

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これは明治43年頃に発行された鉄道旅行地図の写真で、
取引先のTさんがご実家の蔵から発掘したものです。

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中部地方の部分です。

よく見ると、愛知県とか三重県とかではなく、三河、尾張、伊賀とかいてあります。
まだ、県名よりも藩名の方が通りがよかったのでしょうね。

時代を感じます。

そして、旅行地図と銘打つだけありまして、裏面には各地の見所が書かれていたりします。

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これは裏面の旅行案内にある、当時の名古屋市の地図です。
よく見ると、千種より東と名古屋停車場(名駅)より西は田畑しかありません。

案内を読むと熱田駅の近くには汽船乗り場があると書かれています。
海岸線が違うんですね。

それから、写真にはありませんが、
この地図には当然のように南樺太と台湾と朝鮮半島が含まれていました。
日韓併合から間もない時期ですから当然といえば当然ですが・・・。

これもまた時代を感じさせてくれます。

本当にTさんから見せていただいた時には、あまりの面白さに魅入ってしまいました。

それからもうひとつ。

名古屋市の案内文には豊臣秀吉の生地として中村が紹介されているのですが
この時の書き方が豊臣秀吉ではなく、”豊公”と書かれています。

その反面、岡崎の案内文には徳川家康の生地としてあるのですが
書き方は”徳川家康”と呼び捨てでした。

こういうところを見ると、明治維新が関ヶ原の壮大な意趣返しだったのかなあと
あらためて思わされます。

ちなみに発行所の住所は京都でした。
やっぱりねえ。

最後に同時にTさんが蔵から発掘した、東郷平八郎元帥閣下のお写真を掲載いたします。
日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅した連合艦隊司令長官です。

昭和9年の大阪毎日新聞の付録だったものです。

こういう方の肖像写真を付録にするというのも今では考えられません。
もしかしたら、今で言う、マー君や真央ちゃん的なイメージだったのかも。

ちなみに、今はTさん宅に額装され飾られているそうです。

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